竜馬が行く PART2    NSDUNK

ここからのお話は坂本龍馬の謎

こんな都市伝説がある

あの写真の人物は、坂本龍馬本人ではない。

京都 近江屋の二階で襲われて亡くなったと言われているが、

事前に外国のイギリス スコットランドへ誰かが逃がした。

あくまでも近江屋で死んだ人物は坂本龍馬本人ではない。

誰かが竜馬を救出することが出来た。

そうか、一命を取り留めて、その場から逃げる事が出来たのではないか?

そのあと、国外へと避難したのか?

のち長州ファイブが海外視察という名目でスコットランドに渡航しているが、

なぜスコットランドでなければいけなかったのか?

それは、坂本龍馬に会いに行っていたと考えられるのではないか?

事実、坂本龍馬のお墓は京都 霊山観音にあるが、その下に坂本龍馬の遺骨があることは

証明されていない

となれば、残る疑問

坂本龍馬はあの日、近江屋にはいなかった

では、京都 近江屋で死んだとされる人物は?

この写真が、本当の坂本龍馬という説もある

坂本龍馬と一緒にいた中岡慎太郎は、

一緒にいるのが本当の坂本龍馬でないのは知っていたのか?

近江屋の二階で襲われる事を知っていたのか?

その日、坂本龍馬の影武者と死ぬ覚悟をしていたのか?

またこんな疑問も浮上してくる

坂本龍馬が死んで、一番得をする人は誰か?

         都合の良い人は誰か?

ここで思い返されるのは

いろは丸の件 

鞆の浦(とものうら)にて、いろは丸を沈没させられた。

相手は、紀州藩

舟に積んであった武器 弾薬 お金の弁償をどうするのか?

紀州藩に弁償させた170億円もの大金

その使い道は闇に消えたままである

誰かの企みが無ければ、こんな大金が消えるはずはない。

キーマンはこの二人か?

海援隊の会計をしていた岩崎弥太郎 後の三菱商事(海運業)の創始者 と

トーマス・グラバー 有名な武器商人

幕末の志士たちの活躍が、日本の大きな進歩につながった。

それを証明するものが紙幣である。

500円札に伊藤博文

1000円札に板垣タイスケ

5000円札に岩倉具視

そこに坂本龍馬があっても、もちろん何の違和感もない

その代わりにお札になっているのが、聖徳太子である。

聖徳太子は龍に乗って現れたとされている

龍は背中には馬の立髪と同じような毛をもつ

その事から、聖徳太子は坂本龍馬の代役としてお札に起用されたのか?

もしそうなら、それを決定した人物は、あの坂本龍馬の写真は公開しては誰かにとって都合の悪い事だったのか? だとすると

坂本龍馬には影武者がいた事になる。

なぜ坂本龍馬の本人の写真が公表されてはダメなのか?

誰に都合の悪い話になるのか?

あなたしか知らない坂本龍馬があれば、ぜひ教えてください

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