お爺さんと出会った

とんでもない爺さんと偶然にも

その日の仕事が終わると、いつもの道を歩く、いつもの駅から、いつもの電車に乗って家にかえる。

いつもの普通のことである。 そんな毎日が1週間をつくり、1か月をつくり、1年を作っていく。

でもその日は、自分の何かが変わるとは思っていなかった。

地下鉄に乗る為に階段を降りる。

階段を下りながら、なんとなくホームの様子がうかがえる。

列車が来て、乗客の入れ替えがなされているようだ。

ホームに到着した私は、電車に地下好き加減でホームの奥へ歩いた。

ひとりの爺さんが、電車の乗車口に片足をいれた状態でいる。

誰にともなく、「大阪に早く着くのは、この急行ですか? それとも次の特急ですか?」

不思議とホームにいる人は誰一人として答えてはいなかった。近くに駅員もいなかった。

私はホームの奥へ向かって歩いている途中、その爺さんの横を通り過ぎるくらいのところで

「次の特急ですよ」と声を掛けた。そのあと、いつも座るベンチが空いていたのでそこに座った。

しばらくしてから、「さっきはありがとう」そう言って自分の横に一人の男性が座ってきた。

先ほど電車の入口に片足を掛けていた爺さんだった。

その爺さんを見て、その辺で歩いている普通の爺さんとはちょっと違うなと思った。

紺色のスーツを着ている それに体にキッチリ まるであつらえたかのように。

首元から見えるワイシャツは、真っ白でアイロンがきっちり掛けてある。

ネクタイも年の割には、オシャレなネクタイをしている。

「大阪の人ですか? 京都へはよく来られますか?」と尋ねると

「ああ、京都はしょっちゅう祇園の舞妓さんらと遊びにきてるよ。」

「夕方から帰られるのですか いつもなら夕方から京都へ来るはずなのに」

「今日は、一枚の絵を京都まで見にきた。 ひとりの画家が展示会をしている。なかでも特に気にいった絵があったんだけど、

 それは、作者の母親を鉛筆だけで描いた、ホントに綺麗に描けてるんやけど売り物じゃないんや」

「売り物じゃない よっぽど貴重な絵なんでしょうね」と言うと

「今日は、その画家が展示会に来るので、売ってもらうよう直接会いに京都まで来たんや」

「へえ~ そんなに絵が好きなんですか」と尋ねると

「うん こないだも【セザンヌ】の絵を4億で買ったんや」

聞いてびっくり、一枚の絵を4億円も出して買った人が自分の横にいる。

そんな人が、世界のどこかにいるとは想像できるけど、すぐ横にいるとは

そんな人は、やっぱり見るだけでも何かが違うのかなと思わせるような空気をもっている。

「あの~ 何屋さんですか?」と聞くと

「前は会社をやっていたけれど、もう息子に任せて相談役なんや」

「やっぱりそうなんですね。」とうなずくと

「君にもチャンスはあるよ 何歳くらいかな?」

「30歳です」

「一般の人は定年近くになってから、この後どうしようって考える。 会社は20歳で入社した時から60歳までですと決めている

 だから さっさと準備しとかなあかんわな あんたも30歳なら始めなさいよ なんでもいいから」

次の特急列車がホームに入ってきたので、「じゃ いくわな」そう言って立ち去っていった。

地下鉄のホームで、爺さんと話したのは10分程度。

あの時誰も返事しなくて、たまたま通りかかった自分が返事をしただけ。

ただ座っていただけなのに、わざわざ自分の横に来て声を掛けてくれるとは。

いろんな爺さんがいるのに、一枚の絵を4億円で買う爺さんだったとは。

誰に会うか わかりませんね

どこで会うか わかりませんね

どんな人に会うのか わかりませんね

だから おもしろいですね